タカラヅカ映画専科とその時代

宝塚歌劇団映画専科と宝塚映画

宝塚歌劇団に「映画専科」があったのは1956(昭和31)から62(昭和37)年まででした。今も歌劇団にある「専科」とは性格が違い(今の専科は、花組や月組といった5つの組に所属せずに、組の枠を超えていろんな組の舞台に出演するベテラン集団です)、映画への出演をはじめ、東宝などの舞台に出、時には宝塚歌劇にも出演するといった機動的な組織だったのです(最近の宝塚歌劇員に外部公演の出演はほとんどありません。10年ほど前に当時専科だった檀れいが東宝の舞台に出た程度ではないでしょうか)。そしてその活動は宝塚映画への出演が主でした。

 

前史(タカラジェンヌの引き抜き)

黒木瞳や檀れい、真矢みき、天海祐希…… 宝塚は今も昔も女優の宝庫です。ましてや動画サイトやCM、モデルというものがなく、女優の登竜門が限られていた戦前〜昭和30年代は、宝塚歌劇団は芸能界の貴重な女優供給源だったのです。歌劇の戦前の人気娘役、轟夕起子が日活映画「宮本武蔵」(1937年)のお通役に引き抜かれたのをきっかけに、戦後も淡島千景(松竹が引き抜き。円満退団を望んだ淡島に、歌劇団側は激高して「クビ」に。後年、淡島が東宝の大ヒット映画「夫婦善哉」に出演した際の条件の一つは「歌劇団のクビを撤回すること」だったそうです)や乙羽信子(大映)、月丘夢路(大映)と娘役トップが次々と他社に引き抜かれていきました。有馬稲子も歌劇団を退団し、系列の東宝に移籍するなど宝塚の娘役は引く手あまたでした(歌劇団が発行している月刊誌「歌劇」の当時の記事を見ると、引き抜きの横行で「娘役が人材不足」といった指摘がちらほらありました)。1950年代は映画は娯楽の王様。タカラジェンヌの間にも「映画に出たい」という雰囲気が漂っていたのです。

歌劇団も対策を取り出しました。「歌劇の舞台では目立たなくても、映画や他の劇団の舞台でならば輝く生徒がいる」と考え、宝塚映画を始め、東宝の舞台や映画へ出演するようになったのです。娘役を中心に宝塚映画への専属出演契約を結んだジェンヌは多かったようです。52年の宝塚映画発足から60年ごろまでは、画面のいたるところにタカラジェンヌが出ています。当時の「歌劇」誌も毎号、宝塚映画作品とそれに出演するジェンヌを大きく紹介しています。

宝塚歌劇の舞台を宝塚映画でミュージカル映画にするという試みも繰り広げられました。「かっぱ六銃士」(1953年→歌劇での原題「河童まつり」)や「ジャズ娘乾杯」(54年→歌劇での原題は「黄色いマフラー」)がそうです。歌劇団の生徒が大量に出演しています。ただ、宝塚映画にノウハウが不足しており、その試みは映画的にも興行的にもなかなかうまくいかなかったのです。

 

菊田一夫

1956(昭和31)年、ラジオドラマ「君の名は」や舞台「放浪記」を手がけた名演出家、菊田一夫が東宝の取締役に抜てきされました。と同時に宝塚映画の取締役に就任し、宝塚歌劇団の顧問にも就いたのです。この人事で、宝塚歌劇〜宝塚映画〜東宝という阪急系列の3つのエンターテインメント企業に横串が通ったのです。53(昭和28)年に焼失した宝塚映画の撮影スタジオが再建されたのも56年です。大衆娯楽を追求する、阪急の大立者、小林一三の晩年の強い意志が感じられます。

菊田は宝塚歌劇団の月刊誌「歌劇」55年12月号の歌劇団幹部との鼎談で映画や外部公演にも出演してもらう場として「映画専科」の新設を提言しました(「映画で儲けて歌劇の赤字を埋めればいい」といったような発言も)。そして半年後の56年6月、既に宝塚映画や東宝映画に多数出演していた八千草(演劇専科から移籍)と扇の2人で映画専科を発足させたのです。菊田はその後、「暖簾」や「丼池」といった関西ものの舞台を東宝でヒットさせました。そして宝塚映画は「放浪記」や「暖簾」「丼池」を映画化しました。

 

映画専科

ところが、八千草と扇の2人はわずか1年で宝塚を退団、八千草は東宝に移籍し、本格的に女優の道を歩み出し、扇は中村扇雀(現坂田藤十郎)と結婚しました。そこで歌劇団は57年、峯京子と環三千世の若手娘役2人を映画専科に組替えさせました。2人は東宝の舞台や映画に出演し(環は東宝系列の東京映画「猫と庄造と二人の女」に同じくタカラジェンヌの南悠子と参加。峯は57年の東宝映画「山と川のある町」=丸山誠治監督=に出演、歌劇団の大劇場公演にも出ました=57年の花組大劇場公演「赤と黒」のエリザ役です)。ただ「歌劇ファンの間で人気があっても、(一般の映画ファンに)知られているかは別問題」(当時の宝塚映画幹部)で、二人の役は脇役がほとんどでした(それでも「暖簾」での主人公の妹の記者役、小津安二郎監督が宝塚で手がけた「小早川家の秋」の冒頭のバーのママ役=共に環=は印象に残ります)。

58年9月の組替えで環は映画専科を離れ、星組副組長を務めていた汐風享子が新たに加わりました(環はこの時点までに歌劇団を退団した模様。60年までは引き続き宝塚映画に出演しています)。61年には汐風一人になりました。

映画興行は58年をピークに観客数が激減。テレビの普及と共に、宝塚歌劇と映画の関係も疎遠になったようです。60年代に入ると、宝塚映画に出演するタカラジェンヌは少なくなっていきました。

 

今回の上映作品と歌劇団

  • 女の学校

    映画専科発足前の作品。主演の雪村いづみの他は女性はタカラジェンヌが総出演。後に映画専科に入る扇千景や環三千世も出ています。「美人ばかり出したらヒットする」というのが歌劇団と宝塚映画のもくろみ。ところが、この映画を見た小林一三が「美人ばかり出過ぎて、誰が主役か分からん」とおかんむりだったそうです。学校のロケは寿美花代の母校、県立芦屋高校。真夏(撮影は6〜8月)に冬のシーンを撮ったので、病死する役の扇千景は厚い布団をかけられて苦労したそう。
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  • 蝶々夫人

    八千草薫が「映画の楽しさを知った」(「歌劇」誌55年2月号)と言う名作です。
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  • 白井権八

    宝塚歌劇団から扇千景や雅章子(プロ野球唯一の400勝投手、金田正一さんの奥様)、竹屋みゆきらが出演しています。
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  • 大当り狸御殿

    峯や環が雪村いづみの腰元として出演。和風ミュージカルの場面はジェンヌ総出演。華やかな娯楽作品です。
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  • 夜霧の決闘

    峯が鶴田浩二の妹役を。環や汐風も出演。
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